
どんどん衰えていく親にどう向き合うか
下木:父はトイレでベルトを外すだけでもとても時間がかかる。それでも、プライドが高い父はベルト無しのズボンを履こうとはしないとしない。どうすればいいのでしょう。
桃沢:ベルトを外すことも、お父様の手のリハビリだと捉えてあげてください。奪うのではなくて。
下木:そうか、そうか、、、。リハビリだと捉えればいいんだ。
桃沢:トイレはとても繊細な部分です。一生懸命自分1人でトイレをやろうとしているということは、人として健常な範囲にいようとしていることです。脳の機能としては正しいことなのです。
その範囲を超えたときには、悲しい現実があるのです。ですから、1人で頑張ってる姿は、とても喜ばしいことなのです。
下木:確かにそうですね。今、すこし私のストレスも少なくなりました^^)
桃沢:とにかく足が大事。立位が取れなくなるとトイレが無理になってしまう。トイレができなくなったときに人は衰えが大きくなるのです。
できるだけ立ってもらう。筋力を少しでも維持してもらうことはとても重要です。
できないと思って周りが立たせないようにすると、どんどん下降するばかり。立てなくなったときに、その人に大きな苦痛が訪れます。凄くしんどいけれども、立てることの意味はとても大きいです。
手を取ってソファーの周りを1周するだけでも良いと思うのです。毎日、足腰のために何か1つやったと言えることをやっておく。本人と家族がやったよね、という気持ちを持てるだけでも達成感が得られます。
下木:そうだね。後悔はしたくない。
桃沢:それに、手なり腰なりを持って少しでも歩こうとすることは、よいスキンシップになります。手の温かみは安心感をもたらしてくれます。
スキンシップが減ってきた家族に、ふたたび手を取るという機会が訪れたことには意味があると私は思っています。
最終的に立てない時が来るかもしれない。立たせられなくてもいい。家族みんなで相談して何かをやることが、お母様、家族にとって意味のあることではないかと思うのです。今日という日を安らかに、穏やかにできるよう心を整えていく。
そのためには、頼めることが外部にどんどん頼んでいく。あえてガンバラナイ。外部で頼めない心の安定を家族が補えれば、穏やかになれます。
下木:少し恥ずかしかったのですが、積極的に父の手を持とうと思いました^^)
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