相手に愛はあるんですか?〜愛情があるのか、無いのかを調べる方法〜

一緒にインスタライブをさせて頂いている弁護士の森上未紗先生

という、なんともインパクトのある質問を頂きました(笑)

妻側がいくら頑張っても、相手に愛が無いのであれば、頑張ることには意味が無いのでは?

という疑問をお持ちだったそうです。

確かに、向こうに愛情がなければ、頑張り損なんてこともあるかも。

むむむ!これはすごいテーマだ!

ということで、早速考えてみたところ、すごい面白いことに気付いたのです。

相手に愛があるかどうかを調べることは、夫婦が将来不仲になったり離婚したりすることが予測できるかもしれないと分かったのです!

というわけで・・・私の将来はどうなるの!?と、想像しながら読んでみてくださいね。

それでは、早速いってみましょう!

(instagramでも森上先生とペアでお話しています。動画がよければコチラをごらんください。内容はちょっと変わってしまいましたが(汗))

そもそも愛とは何か?

愛とは何でしょう。

すんごい抽象的ですよね。

なので、この話を進めるにあたって、まず愛の定義をしたいと思います。

私は、愛とは、とても利己的なものだと考えています。

利己的とは・・・自分の利益だけを中心に考え、他人立場などを考えないで行動するさま。

精選版 日本国語大辞典 

利己的・・・自分中心の愛?

えっ?そんなことないでしょ?無償の愛もあるし・・・

と思った方もいるかもしれません。

ですが、

ムムッ?子どもに対しての愛は「無償の愛」が存在するはず!

親は子どもに愛を注ぐ。そこには見返りはないもの。

子どもが何もしてくれなくても、親は愛を注ぐよ?

だから無償の愛でしょ!

と考える人もいるかもですね。

  (無償の愛とは・・・見返りを求めずに相手のためを思う気持ちや行動)

ですが、子どもが生きていることが、親としての喜びである、そう感じる人も多いのではないでしょうか。

つまり、子どもが何かしてくれなくても、元気でさえいてくれれば、親としては十分に喜び(利益)を感じている可能性がある。

だから子どもに愛を注ぐことができる、と私は考えたのです。

あなたはこの考え、どう思いますか?

ところで、なぜ子どもが元気でいてくれたら喜びを感じることができるのでしょう?

こんなこと、あなたは考えたことありますか???

こういうとき「そんなの当たり前だから」と思ってしまうのは、すごくもったいないです。

考えることは、人としての成長につながります。

ん?なぜ成長する必要が??

それは、成長した人間は、他者からとっても魅力的な存在になるからです。

夫婦関係を続けるために、魅力的であることはとても大切ですから(ニヤリ)

なぜ子どもが元気だと嬉しいのか、に話を戻します。

ここを考えることが、なぜ私たちが

「こんなに苦労してまで結婚して子育てして頑張らなきゃいけないわけ!?」

という最大の謎を解く鍵になるからです。

我々は人間であると同時に、動物であり、ただの生き物です。

では、生き物の目的は何でしょう?

うまいものを食べる?いい生活をする?

それもありますけれど・・・一番は

生存、そして、次の世代へと遺伝子をつなぐこと。

文明が進化し、生きることに直結しない時間を得ることができた人間は、生きる意味とは何だ?なんて考えるハメになってしまいました。

本屋にいけば、自分探しをする本がゴロゴロ存在しています。

ですが、行き着くところ人間だって、ただの生き物です。

生き物は遺伝子を残すのが指命です。

不死の生き物以外は、未来に命を繋ぐことが指命なのです。

ただ、最近寿命が伸びたせいか、繋ぐことがあやふやになりつつあるような・・・。

わ!またずれてしまった。戻します。

我々が目にする植物含め生き物の多くがオスとメスに分かれています。

つまり生き物は、異性を惹きつけることで遺伝子を残していきます。

未来へと命を紡ぐために、人間には様々な機能を獲得しました。

異性を引き付ける見た目の美しさはもちろん、さまざまな能力や、コミュニケーションに必要な喜び、怒り、嫉妬、悲しみ、苦しみなどの感情。そして、

。。。

ときは原始時代。

「やばい、そろそろ遺伝子残さなきゃ!でもひとりじゃ残せないし・・・」

と釣り帰りの原始人O太郎は悩んでいました。

そこに、お腹をすかしたB子が現れます。

「あ、あのひと妊娠してない!それに肌艶いいね、健康的じゃん!」

B子に一目惚れしたO太郎さんは、自分がお腹が減っていたにもかかわらず、気に入られようとして、さっき採った魚をB子さんにあげました。

「O太郎さんありがとう!なんていい人なの!?今度マンモス祭り一緒に行きましょ♪」

そして1年後、二人は見事に子孫を残すことができました。

このO太郎とB子の1000世代後の子孫が、今これを読んでいるあなたです・・・・(キャー!)

このように人間は進化の過程で、「他者を思いやる行動」が「自己の利益」にもつながることを知りました。

簡単に言うと、ほかの人を思いやると、相手を引き付けることができ、遺伝子を残しやすい!と気づいたわけです。

生きるための戦略としての行動が、他者をキュン♡とさせたのです。それが愛。利己的な愛。

ハッピーバースデー利己的な愛!

愛とは、命を次世代へとつなぐための戦略なのです。

愛は2種類ある

最初にお伝えしたとおり、愛は利己的なもの。

ですが、原始人B子は

「私のために犠牲になってくれた♡」

と感じてキュンキュンしてしまいました。

B子から見たら、これは利己的の反対、利他的と表せるでしょう。

利他的とは・・・自分犠牲にして他人の幸福・利益のために尽くすさま。

精選版 日本国語大辞典

利己的と利他的。

これを明確に見分けることは、とても難しいですね。

愛は利他的と利己的の2種類が混在していると考えることができます。

でも、あなたの思っている愛って、相手に尽くすこと…なんていう利他的なイメージではありませんか?

それは、文化を通じて、愛が崇高なものへとイメージ付けされたと考えることもできるでしょう。

ちょっと昔の本ですが、『新約聖書』にこのような記述があります。

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない。いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

コリント人への第一の手紙 一三章四-七節[口語訳]

がっつり「自分の利益を求めない」って書かれていますね。

新約聖書での愛は、ここにある「与える愛」の他、求める愛、友の愛があるそうです。

ですが、この与える愛は、なんとも美しいですよね。吸い込まれそうです。

利他主義の精神。

愛は相手のために!

愛って素晴らしい!愛って美しい!

そう思う気持ち、私もすんごい分かります。そうありたい〜〜!って感じ。

与える愛は、きっと人々の理想なのですよね。

人が成長していくとともに、利他の愛の存在が生まれ、育っていく。

ハッピーバースデー利他的な愛!

でも人間は、そんな神々しいものではありません(泣)

旦那が子育てを手伝ってくれなければ当然苛立ちますし、仕事と言いつつ飲み会に行けば「私は外にも出られないのに!」と妬みます。

だって、にんげんだもの。

愛は妬んだり、自分の利益を求めないんだよ、なんてイエスさまが天上からおっしゃっても

「だって夫の行動には愛がないじゃないですか!」

と答えちゃうかもですね。

と、ここで大きな疑問が生まれます。

これはどうなんでしょう・・・夫婦関係を維持する観点で、とんでもなく重大なコトではありませんか!?

だって、夫婦関係が続けられるかどうかは、愛があるか無いかが重要、ということになりますから。

え?愛があるか無いかは重要でしょう!と思うかもしれません。

でも、

愛があるかないかの調べ方が明確ではないのに、どうやって判断するんでしょう。

愛するか愛さないかの判断なんてできます????

そう、ここが、今回のテーマになるわけです。

やっと本編スタートです。

たくさん読んでくれてありがとうございます。

それではレッツゴー!

そこに愛はあるんか?

相手に愛があるか無いか。

測ることが出来ない「愛」の存在ですが、利己的な判断方法があります。それは

実際この考え方で愛を測り、「私は愛されていない」と強く感じる女性はたくさんいます。

めちゃくちゃたくさんいます!!

夫婦カウンセラーとしてお話を聞いていると、この考え方を持っている女性たちが、とても苦しい思いをしていると痛感させられます。

どれだけ相手が頑張っていても

「欲しいのはそれじゃない!なぜ分かってくれないの!」

と、相手の頑張りも認められない自分に苛立ち、また、愛されていないと感じて自分の心も満たせないという2重苦の状態になってしまうのです。

「女性としてみられたいのに、求めてもらえない!!!」

特にセックスレスの悩みを持っている方がこの苦しみに突き当たってしまうようです。

女として認めてもらいたい!という承認欲求。

他者との集団のなかで社会生活を営む人間が、存在するために欠かせない「他者から認めてもらうという行為」はとても根源的なものでしょう。

夫に必要されなくなったらどうしよう・・・、浮気されたらどうしよう・・・、不安の要因は様々考えられますが、その結果、不安の優先順位がとても高くなってしまい、愛と同じように、戦略として「認められる」ということが必要になってしまうのです。

女として認められることが、その人にとっては生存と直結しているのかもしれません。

ですが・・・

この考え方の一番苦しいところは、相手を変える方法でしか「愛」を得ることができない、というところにあります。

ただひたすら訴え続けるしかない。

でも、理解してもらえず・・・を繰り返し、地獄の苦しみを・・・。

相手を変えるというゴールにたどり着けなかったら、「愛されなかった」という恨みや憎しみだけが残るだけです。良い思い出なんて、全部消えてしまう。

私はそれをなんとしても、避けたいのです。

そんな結婚生活は、絶対嫌だもの!!

というわけで、ここでひとつ、視点を変えるお話をしましょう。

心理学者のエーリッヒ・フロムが「愛」について著書の中でこう述べています。

幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。

成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。

エーリッヒ・フロム『愛するということ』より

前の章で書いた

というところを思い出して欲しいのです。

フロムの言う

「愛されているから愛するという原則」

に従うと、

「愛されていなければ愛さない」

という行動を取ることになりませんか?

このことをフロムは「幼稚な愛」と述べているのです。

幼稚・・・

「ママが抱っこしてくれなければ、幼稚園行かない!!!」

というようなイメージでしょうか。

「あなたが謝ってくれないなら、もう喋らない!!!」

という感じですかね。確かに少し幼稚な感じがしてきましたぞ。

その対比としてフロムは、成熟した愛は「愛するから、愛されるんだよ」と述べています。

この言葉を、あなたはどのように感じますか?

じゃんじゃん続けます。ついてきてね!

フロムは他にもこのように伝えています。

ご紹介しましょう。

未成熟な愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、

成熟した愛は「あなたを愛してるから、あなたが必要だ」という。

エーリッヒ・フロム『愛するということ』より

今度は未成熟な愛ときましたか。

幼稚時代から少し大人になりました。でも、まだ成熟はしていないようです。

十代後半でしょうか。(勝手なイメージね)

「私はあなたがいるから自分らしくいられるの。だからあなたが好き!」

おお、、、自分を認めてくれるあなたが大好きってことですね。

確かに十代後半、親に縛られて自分の気持ちも出せない、苦しい思いをしたことある人も多いのではないでしょうか。

そんなとき、自分の気持ちを受け止めてくれる人が出てくると、キューンとしますよね!

でも、よく考えるとこれ・・・認めてくれなきゃ好きじゃないよ、ってことなんです。

私を愛してくれなきゃ、愛さないからね、と似ていますね。

これは、幼稚な、未成熟な考え方とフロムは考えたのです。

ん?

ふと思ったんですけれど、

という考えの人に

「愛はあるんか?」

あなたに愛はあるんか?

愛さない!って言う人に愛はあるのか・・・

これに気づいちゃうとね〜〜〜

さてどうしましょう。

自分の中に、相手への愛があるのかどうか。

そもそも、それは成熟した愛なのか。

自分を認めてくれた人だから好きになったのか。

自分を愛してくれたから好きになったのか。

うわ〜〜〜〜

どうなんでしょう。

実は・・・この幼稚な、未熟な愛で結婚をすると、やっぱり

夫婦問題は起こる。

かなり高い確率で起きてしまいます。

しょうがないよね、だって、未熟なんだもの。

でもね、

安心してください!

未成熟がダメって言ってるわけじゃありません。

未成熟とは、成熟する前のことですから。

あなたが愛とは何かを考えること。自分の内側から出てくる「愛」にしっかりと目を向けること。

自分を満たすために、相手を愛さないことに気づくこと。

このような気づきを経て、愛は成熟していくのです。

実際うちのカウンセリングを受けに来た人で、未成熟なまま夫婦生活を続けた人もいらっしゃいました。

でも、結婚生活をある方法で思い返してもらったらですね・・・

ちゃんと、彼に対しての思いも育っていたのですよ。

ただ、気づいていなかっただけ。

未成熟なまま行けると思っていたので、夫に対して無関心になってしまっていたのです。

愛に対して成熟すれば、相手を変えようとしていた気持ちは劇的に変化していく。

自分の愛に目を向けることであなたの気持ちが変わる。

あなたが変われば、相手が変わる。

そして夫婦の愛は成熟していくのです。

愛がない人は、いる

愛は利己的なものだけれど、成長、経験とともに利他的なものと混じり合っていく。

自分が嬉しいと、相手も喜んでくれる。それが嬉しいから、相手を喜ばせたくなる。(利己的→利他的)

でも、残念ながら混ざらないまま、利己的で幼稚な愛しか持てない人もいます。

そのひとつのパターンが、利己的な愛を利他的に見せようとする人です。

「あなたのためだから」

「あなたのためにがんばってきたのに」

「私なんかいない方があなたにはいい」

一見相手のことを考えているように見せて、実は自分のことしか考えてない愛の見せ方をする。

このやり方はとても「支配的」な愛であり、思い通りに動かすための「洗脳」であるともいえます。

ただ・・・相手に「もしかして私のことを考えてくれるいい人?」と思わせることに長けた戦略であるため、うまくいくことも多く、戦略として手放せなくなってしまうのでしょう。

結果、愛を成長させることができなくなってしまうのです。

このように利己的であるがために、愛の成長ができない理由のもう一つを、フロムの言葉を借りてお伝えしたいと思います。

利己的な人は、自分を愛しすぎるのではなく、愛さなすぎるのである。いや実際のところ、その人は自分を憎んでいるのだ。

エーリッヒ・フロム『愛するということ』より

自分を憎んでいる。自分を愛することができない。

・・・そうですよね、自分のことが愛せたら、相手を支配しようとは思わないですものね。

なんだか悲しい話ですが、かわいそう、私が愛してあげる!というのは相手の成長につながりません。

自分を憎むという苦しい状態から抜け出したいと、本人が気づかなければどうしょうもないのです。

もしあなたがそういう言葉を使っていたら、一度立ち止まって、愛について考えてくれると嬉しいです。

そういう人がパートナーであった場合

「あなたは、自分のことを愛してる?」

と聞いてみるのも良いでしょう。

答えはどうでもいいのです。どうせ支配的な言葉を返してくるでしょうから。

聞く理由は、気づき、考えさせるきっかけづくりです。

今、自分を愛せない人へ

自分を愛せないという言葉にピンとこない人もいると思います。

ちょっと違うかもですが、「自分が好き?」って感じで良いかなと思います。

自信が無くなると、自分のことが好きではなくなってしまいますよね。

結婚して、子どもを育て、仕事をやめて、毎日毎日家事に翻弄されているのに、夫は仕事で実績作って・・・というケースの奥さまがご相談にいらっしゃいました。

「夫にもっと関心を持ってもらいたい!」

愛されたい思いが溢れて、夫をなんとかしなければと苦しんでいました。

私は彼女にこう聞きました。

「夢はありますか?」

それから10分、たくさん彼女の夢の話で盛り上がりました。

目に輝きが戻り、声に張りがでて、笑顔になってくれました。

自分のことが好きじゃないって思ったら、夢を思い出してみるのもいいですね。

でも、一人じゃなかなか思い出せないので、お友達とかと盛り上がってみるのがいいかも。

ほんの少し自分のことが好きになったら、あなたの愛は、キラキラと成長を始めますから。

あなたの愛が大きく美しくたくましく成長しますように!

めちゃくちゃ長くなってしまいましたが、最後まで読んでくれてありがとう!!

執筆 夫婦再生カウンセリング名古屋 主宰 下木修一郎(しもきしゅういちろう)
夫の気持ちを知る!夫の気持ち研究家
夫が何を考えているのか分からないあなたへ『夫のホンネがわかる動画』も絶賛公開中です。

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